君の膵臓をたべたい
を、読んでいます。進行形。今94ページね。
医療人なのでこの子はなんの病気なんだろうと考えながら(そして現実的ではない展開だなと思いながら)読み進めるわけですが、ところで私は身近な人が死んだことがありません。
最後に葬式に出た記憶は、祖父母の親戚筋。中学生の時で、故人とは関わりなし。その前はひいばあちゃん。おそらく小学1年生。葬式の日のことは、全体としては覚えていないけれど、実家のひいばあの部屋の隅で少し泣いたことは記憶している。
まあそう遠からず親か、祖父母が死ぬと思うけれど、幸い友人も死んだことのない私にとっての身近な人の死は、患者さんである。
死ぬような疾患の人ではなく、傷が治らず入院が長引いて肺炎で亡くなった方だったので、本当にショックだった。病状が主科の域を超えてしまったので、病棟を移ると同時に私の手からは離れて別の人に担当を変わったが、間接的に亡くなったことを知ることになった。カルテを読んだ。寂しがりながら死んでいったようだった。この数年で数百人の人に会ったと思うが、あの人の名前は忘れていない。
先日癌の新しいスクリーニング方が実用化されそうだとニュースを見た。
今日先輩と話したけれど、癌で死ななくなったら、人間は何で死ぬんだろう?
感覚的に一番は肺炎。うーん、これもまた苦しいね。癌ほどじゃないと思うけれど…
苦しくない死に方っていうのは、ないもんかねぇ。身体的に、だけではなく。老衰っていうのも何だか定義がわからない。
案外、自殺が増えたりするのかもしれないね。
まあ結論がある記事ではないのだけれど、あなたのこと忘れてませんよ。この前亡くなったあなたのことも、その前に亡くなったあなたのことも。高齢の知り合いが増えるっていうのも、難儀なことだなあ。
さて、宵っ張りに戻りますかね。